THESES
看取り
「看取る」覚悟
練馬に、「通い、泊まり、住む」施設、宅老所をつくりたいと思い、介護事業を始めました。しかし、物件がなく、当初は訪問介護や居宅介護支援事業から始めました。開業して、1年半後の平成17年11月に、やっと定員24名のデイサービスと6部屋の入居施設、1部屋のショートステイを持つ施設「ほっと・ハウス・豊玉」を開設することが出来ました。当初は、入居者の方から埋まっていくと言われ、開業前から、見学者は数多く見えました。しかし、見学される方は、入居予定者の子ども達でした。その方々から見ると、小さな施設は、物足りなさや不安感の方が大きかったのか、入居する方はいませんでした。満床になるのに、1年近くかかりました。通所サービスやショ―トステイを利用された方が、「なじみ」の関係がつくられてくる中で入居されてきました。改めて、この施設は「通い、泊まり、住む」宅老所施設なのだと実感しました。あれから12年以上経ちますが、1名の方は今でも元気にデイサービスに通われています。他の方はお亡くなりになりましたが、2名の方を施設で「看取り」ました。また、中途入居の方も2名(1名は私の父ですが)を「看取り」ました。
私も含め、職員の多くは「看取り」を経験していませんでした。そこで6年ほど前に訪問医療をお願いしていた医師を招き、「看取り」の勉強会を職員やご家族の方らを集めて、開催しました。
その勉強会での医師の話は、「看取る」ことを本人や家族が決意したならば、「喘いでいても本人は苦しくない、無理に酸素ボンベを使って呼吸をさせる方が、本人には苦しくなる」「食事も本人が食べたくないならば、それは体が求めていないので、無理に食べさせない方がいい」、「どんな状況になっても、救急車は呼ばずに、対応すること」。また、「亡くなる前には、ビジョニング(亡くなった人や動物などが枕元に現れる現象)が、93%の人に現れる」など刺激的な内容でした。当然のことですが、研修に参加した職員や家族の方には、喘いでいるのは苦しいに決まっているなど、その内容を受け入れない人もいました。「看取る」ためには、その覚悟を持つことが必要だと思い知らされました。
「看取り」を経験
勉強会を行って半年後に施設として初めて「看取り」を経験しました。その方は、胃ろうですでに寝たきりの状態でしたが、栄養分が行き届き、血色は良く、また、わずかですが、笑うようなしぐさも時折見せていました。亡くなりそうになった時は夕方だったので、職員が集まり、ご家族の方と一緒に大きな声でお名前を呼び掛けましたが、徐々に脈が弱くなりました。職員である看護師が、バイタルサイン(体温、血圧、脈拍、呼吸)とともにSpO─2A(血液中の酸素濃度測定)を計っていましたが、その数値がどんどん悪くなり静かに亡くなっていきました。穏やかな表情のままでした。職員はご家族の方以上に涙ぐんでいましたが、経験のある職員が、施設で、こんな綺麗な死に顔は見たことはないと話をし、職員も満足感に包まれました。ご家族の方も、納得されていました。すばらしい「看取り」に立ち会うことができました。
担当医が1時間ほどして来て、亡くなった利用者の手を取り、脈を計りました。そして、おもむろに「ご臨終です」と述べ、その時間が死亡時間となりました。ご家族の方とともに私たち職員も立ち会いましたが、もうすでに涙も枯れていて、その形式的な最期は何とも滑稽なものに映りました。そのこと含め、私にとっても忘れることができない場面でした。
統計を見ると、平成15年度までは、年間の死亡者数は100万人以下でしたが、その数は毎年増え、平成27年度は130万人以上の方が亡くなっています。そして最も年間死亡者数が多くなるといわれている平成52年度には、約167万人の方が亡くなると推定されています。一方、死亡の場所は、病床数は微減の傾向にあり、今後は自宅や施設で亡くなる方が大幅に増えてきます。
私どもの事業所が担当した中にも、施設だけでなく、在宅で亡くなる方の事例が増えてきて
います。末期がんの一人住まいの利用者の方が、真夜中に具合が悪くなり、訪問医を呼び、処置をしてもらった後、先生との談話の中で、大好きなエクレアが欲しいと話したところ、先生がコンビニで買ってきてくれ、美味しく食べたそうです。その朝、ヘルパーがいつものように訪問したところお亡くなりになっていました。見事な最期だと思います。このような「物語」は、これからいろいろなところで生まれてくるはずです。
両親の死
同居していた両親は元気でした。しかし、父は夜トイレに行くことがままならなくなり、母から、眠れない、少しでも休ませて欲しいとの強い要望が出されました。ちょうどその時「ほっと・ハウス・豊玉」で初めての「看取り」を経験した直後で、部屋は空いていました。父は、自分の住処である我が家を離れることなど、絶対に無理と思っていましたが、何日か預かって欲しいとお願いをしました。
翌日行くと、父は、結構楽しくやっていました。3・4日たっても変りません。これはひょっとするとこのまま、施設に居てくれるのではないかとの期待も生まれてきました。しかし、7日目でした。私が顔を出すと、恐ろしい形相で、こちらに向かってきます。そして「なぜ、こんなところに俺は居るんだ。帰るぞ」と叫んでいました。職員から「沖山さん、帰ってください。私たちが対応しますから」と言われ、その場を離れました。なぜ離れてしまったのか、後悔がありました。しかし、翌日、父に会いに行くと穏やかになっていました。その後、帰ると家族に迷惑がかかると悟ったのだと思いました。
母は姉妹たちと、施設に行き、父と楽し気に話をしていました。母は、まったく元気でした。しかし、父より先に亡くなりました。血圧が高い人で毎日血圧を測るなど注意していましたが、心不全で突然に亡くなりました。生前から、私はさみしがり屋だからピンピンコロリで行きたいと常々言っていました。母らしい、最期でした。
父を「看取る」ことは姉妹たちと確認していましたが、父は足がむくんだり、胸が苦しんだりして、2度、入退院を繰り返しました。他の入居者の方も、「看取る」決意はしながらやはり、医療に頼ってしまうことがあります。家族としては難しい判断を迫られます。私にとっても、難しい判断であり、貴重な体験でした。
退院後、父は、通所に通いながら、日々を過ごしていましたが、ある夕方、施設を訪問した妻が、父が、壁の方に向かって何かを見つめていたと言っていました。ちょうどその日は母の49日でした。93%の人が見るビジョニングで、母が枕元に立ったのかも知れません。そして、その翌日の朝、父の様子がおかしいとの知らせを受け、施設に行くと父は、亡くなっていました。穏やかないい顔でした。
2年半近い「ほっと・ハウス・豊玉」の生活でした。この間、今までにはないほど父と2人きりの時間を持つことができ、いろいろな思い出も残してくれました。そして何よりも、その最後の生き様の中で、いろいろなことを教えてくれた父の死でした
「看取り」を受け入れる社会環境づくりは介護事業者の役割!
誰もが「老い」や「死」を迎えるわけですが、現在の日本の社会は、「老い」や「死」を正面から捉えることを拒否し、元気に「生きる」ことしか考ないようにしています。その姿は、「成熟社会」を迎えているのに、「成長社会」の再来を夢みている今の日本の社会の反映のような気がします。
私たち介護事業者は、「看取り」という貴重な経験をする中で、「老い」や「死」について考えます。そして、素晴らしい「看取り」をするためには、当然のことですが、良い生活を維持していくこと、良い介護、良い医療が何よりも大切だと感じています。また介護現場での「看取り」は、生活の中での「死」です。どんなに素晴らしい「看取り」でも、残されたご家族の方々にとっては喪失感はあります。後悔もあります。「看取り」をしていくためには、これらの対応も大事なことです。
「看取り」はこれから大きな課題となってきます。私たち介護事業者は、「看取り」を受け入れる社会環境をつくりだしていく役割を果たしていくべきです。「看取り」の現状を語り、また課題点、改善点などを積極的に社会に発信していくことです。そして、そのことは、いまの日本の社会の在りようを大きく変える力になると強く感じています。
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